Dear ルキ

どこかのあなたへ

満ち足りた一瞬を求めて

ルキさま

 

オリンピックがはじまったようですが、ルキさんの中での関心度はいかほどのものでしょうか?私の家には相変わらずテレビがないため、貴重な自国開催の祭典もどこ吹く風で、きっと気がついたら閉会式をYahoo!ニュースで知るという感じで終わりそうです。

こんなんでは、すぐに年をとってしまいそうですが、こんな感じだからこそ地方移住ができたような気もするのです。そもそも移住の経緯については詳しく話していませんでしたが、ルキさんはそのあたり興味あるでしょうか?

人によっては色々と情報収集をして、何年もかけて移住に踏み出すという人もいるようですが、私たちは夫婦二人、これといった財産もなく、守るものもないため(若干、私の実家方面ではわちゃわちゃありましたが)軽い気持ちでこちらに引越してました。といっても夫は十年以上務めた会社を辞め、新たな職場を探したわけですから大きなことだったのでしょうが。

ただ最近でこそコロナで「移住移住」と騒がれていますが、昔から住む場所を大きく変えるというのはたくさんの人がやってきたことなんですよね。それこそ何の情報もない中、小さな子を連れ、果ては食や住のあてもない中、私たちの祖先は生きる場所を求めてさすらっていたかと思うと、今日を過ごすということへの己の怠惰さに恥ずかしくなります。

だって最近の私は、9時起床の10時朝ごはん、14時昼ごはん、20時夕ご飯の1時就寝で労働もせずただだらだらと過ごしているのですから!

これは35歳、働き盛りの女性が過ごしていい日々ではありません。きっと後でつけがくるのでしょう。怖い・・・

ただその一方で、生産的なこと、一般的によしとされていることをしていなくても、心安らかに過ごせる自分でいたいと願ってはいるのです。それは時々は成功しています。ほんの数分、いや数十秒かもしれませんが、満ち足りた気持ちでただ在ることができている時、私はもしかしたら一番幸せかもしれません。仏様やそれに近い人々はこれが長く続いているのかなと思うと、信仰の偉大さに触れたような気にもなります。

 

今日もまた取り留めもないことで終わりそうです。ただ対価だけはしっかりとお支払いさせて頂こうと思います。

これは以前に読んだ、『暇と退屈の倫理学』という本で書かれていたことですが、世に言う「一瞬」とは、正確には1秒を1/18にした時間らしいです。それ以上短くなると人は時を認識できないということなのですが、むしろ私たちは1秒を18で割った時間を捉えることができているのかと驚きの方が強くありませんか。

一瞬、一瞬、一瞬

そう考えると、たった十秒でも完璧な幸福に包まれることができた自分に奇跡を感じたりもします。ハードルの低い幸せでしょうかね。